熊野古道が、「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産に登録されました! 熊野三山への信仰は、霊が宿る熊野の山へと向かう苦行によって、一切の罪業が消滅すると信じられ、当初は皇族を主に、その後、武士や庶民にも広がっていきました。 熊野三山への主要な参詣道である中辺路と大辺路の分岐点にあたり、江戸の中期には1日に800人もの参詣人が宿泊したと言われています。 蟻の熊野詣と言われたほど多くの人が参詣したということですから、当時の人々の熱狂的な信仰の様子が伺えます。
平安貴族の藤原宗忠が、「はじめて(熊野権現の)御山の内に入る」と記した滝尻王子にはじまるこのコースからいよいよ熊野三山の神域に入ります。
このコースの特徴はアップダウンが激しいこと。スタート地点の滝尻王子と、最高地点の上多和茶屋跡は約600mの標高差があり、
滝尻王子からいきなりの急坂が旅人を驚かせます。
熊野詣の宿場として賑わった近露の里の中に鎮座して、産土神としても祀られていたという近露王子(ちかつゆおうじ)は、
王子社の中でも最も早く現れた王子のひとつです。
近くの川で水垢離を行った記録もあります。現在は近野神社に合祀されていますが、石碑が残りこんもりとした木々に囲まれて
面影を残しています。近くを流れる日置川は近露王子におまいりする前に潔斎をした清流で、川岸には後鳥羽上皇の御所もあったといわれています。